広島市の広島平和記念資料館(原爆資料館)は、この夏、大変な人出となった。
6、7月の入館者数は前年同時期と比べて約40%増。8月も24万人を超える見込みだ。
5月のオバマ米大統領の訪問で同館への関心が高まったことは間違いない。
オバマ氏が作ったという折り鶴の展示は黒山のような人だかりになっていた。
原爆資料館が開館したのは1955年。その礎を築いた人に、初代館長の故・長岡省吾氏がいる。
「検証ヒロシマ 1945-1995」(中国新聞社編)によれば
地質研究者の長岡さんは、原爆投下の翌日、爆心地近くで、表面に無数の石のトゲができた石灯ろうを見付ける。
「原子爆弾かもしれない」。そう直感した長岡さんは、その日から焼け跡を歩き回り、
被爆した石や瓦などを拾い集め自宅に保存する。
残留放射能の影響か、下痢や高熱が続いた。妻は原爆資料を戸外に出すよう主張。
「命とどっちが大事なんですか」と。「長岡さんはもちろん瓦だ」と答えたという。
集めた資料は同館の基となる。
長岡さんは12年間館長を務めたが身分は嘱託のままだった。
「人類の歴史に刻まれた悪魔の刻印を忠実に後世に伝える」。
その言葉通りに、原爆資料の収集に半生を捧げた人がいたことを忘れてはなるまい。
資料館の人混みの中でそう思った。